ごあいさつ

リンダ・グラットン (Lynda Gratton)
ロンドン・ビジネススクール教授。経営組織論の世界的権威で、英タイムズ紙の選ぶ「世界のトップビジネス思想家15人」のひとり。ファイナンシャルタイムズでは「今後10年で未来に最もインパクトを与えるビジネス理論家」と賞され、英エコノミスト誌の「仕事の未来を予測する識者トップ200人」に選ばれている。組織におけるイノベーションを促進するホットスポッツムーブメントの創始者。『Hot Spots』『Glow』『Living Strategy』など7冊の著作は、計20ヶ国語以上に翻訳されている。人事、組織活性化のエキスパートとして欧米、アジアのグローバル企業に対してアドバイスを行う。

ビジネス書大賞の受賞を大変光栄に思います。私は『ワーク・シフト』を世界中の人々が未来に何が待ち受けているかについてより深く理解したうえで、より情熱を感じ、充実感を得られる働き方をする一助となるようにと願って書きました。本書が日本で大きな反響を呼んだことをとてもうれしく思っています。今年の二月に訪日し、多くの方と話をしましたが、この本のテーマがまさに日本の置かれた状況に合ったものであると実感しました。

本のなかでは、これから世界を大きく変えていく要因について述べました。グローバル化によって市場がどんどん開放されていきます。技術革新が今まで想像できなかったようなやりかたで人々や知識を結び付けていきます。日本のような先進国の出生率が急減して人口構成が変化する一方で、著しい長寿化が進行します。そして、天然資源や環境の問題もあります。未来の世界を形づくるこれらの要因によって、日本の社会がとりわけ大きな影響を受けることは明らかです。

この本を書いたときの私の関心は、こうした世界の変化に対して個人がどのように備えたらよいのか、というものでした。今回の訪日中に感じたことを、帰国後、日本の若者へのメッセージとして書きました(『ワーク・シフト』著者から日本のY世代へ「視野を広げ、発言し、行動せよ」)という記事にまとめました(プレジデントオンライン http://president.jp/articles/-/8827 )。そこでも述べていることですが、この本がここまで日本の方々に受け入れられた理由は二つあると思います。

一つには、日本のような(もちろんイギリスも) 先進国の若者は、いろいろな意味において、世界のあり方を変えるこれらの要因の震源地にいるということです。彼らが自分たちの将来のキャリアを考えるとき、親が経験したような予測可能な会社員としてのキャリアパスはもはや望めません。しかしその代わりになるものについてもはっきりと見えていない。

『ワーク・シフト』が日本の若い層を中心に読まれたのは、 本書が具体的な未来の姿を描いているからでしょう。私は領域の狭いスペシャリストを志向するよりも、領域を超えた連続スペシャリストを志向すべきであると書きました。また、自分の働き方を会社に委ねるのではなく、自分自身で決めることの大切さについても説きました。私がもっとも伝えたかったのは、「親=会社、子=社員」という親子関係から、「会社=大人、社員=大人」という大人同士の関係への脱却が必要であるということです。

日本で私の本が受け入れられたもう一つの理由は、社会構造の変化です。日本のような成熟した国では、 伝統的な家長を頂点とした大家族が核家化、人口移動、経済的圧力によって崩壊しています。その一方で、新たな関係性やネットワークが生まれています。『ワーク・シフト』では、未来に必要となる三つのタイプのネットワークについて書きました。声をかければすぐに力になってくれる頼れる仲間たちから成る「ポッセ」、斬新なアイデアをもたらしてくれる、少し離れたところにいる知り合い(もしくはその知り合い)から成る「ビッグアイデア・クラウド」、そして心からくつろいで一緒に過ごせる親しい人たちから成る「自己再生のコミュニティ」です。こうしたネットワークづくりにおいても重要なのは、どのような働き方をしていきたいのか、個人が主体となって考えていくことです。

本を書くとき、私は書斎にこもって膨大な時間を構想と執筆に費やしますが、書いている最中には、自分の本がどんな人に読まれるのか、自分の書いた本がどんな人の人生に影響を与えるのか、想像だにできないものです。今回このような賞をいただけたことはこのうえもない名誉であり、喜びです。ロンドンの書斎で綴られた文章がこれほど多くの日本の読者に届いたということじたい、グローバリゼーションの意味や、未来について考えることの大切さを物語っているのだと思います。

担当編集者に聞く! プレジデント社・中嶋愛

− 著者のグラットン先生をご紹介いただけますか?

ロンドンビジネススクールの教授で、イノベーティブな組織づくりの専門家です。「働き方の未来」についてはグローバルな研究活動を行っており、輝かしいご経歴はプロフィール欄にまとめてありますのでそちらをご覧ください。今年来日されたときご本人にお会いしましたが、マクロな世界にもミクロな世界にも好奇心が旺盛な方で、一緒にいると日本というテーマパークを探検しているようでわくわくしました。取材や講演でのオーラ溢れる姿と、五時になるとスピーカーから鳴り響く「夕焼け小焼け」に驚いたり、日本語の「カワイイ」の意味について真剣に考えたりしているときのお茶目な姿のギャップも魅力的でした。すごくお洒落な人でもあります。同じデザインで色違いのスーツを八着仕立てて、シーンべつに使いわけておられます。二〇代の息子さんが二人いて、『ワーク・シフト』は息子さんたちの世代の参考になるようにという思いから書かれたそうです。

− どのような経緯でこの本が生まれたのですか?

本書が出る一年前に『スペンド・シフト』(ジョン・カーズマ他著)という本を手がけました。リーマンショックのアメリカで、「お金の使い方をかえれば世の中が変わる」ということに人々が気づきはじめ、見栄や惰性によって無自覚にお金を使う態度を改める人が増えているという内容です。この本は、日本の3・11後の「絆消費」などにも通じるところがあると話題になりました。ちょうどそのころこの本を紹介され、お金の使い方が変わるという話と、お金の稼ぎ方が変わるという話は、とても自然に結び付いたのです。実は今、もう一つの「シフト」に関する本を準備中です。

− 編集される際に意識したことはありますか?

原書のタイトルは、"The Shift"なのですが、これを『ワーク・シフト』としたほうが一目で内容がわかると思い、最初からそのつもりでつくりました。実はこの本には今のも「幻の装丁」が存在するんです。もとの装丁はもっとカラフルで繊細なデザインでした。とても気に入っていたのですが、目立たせるだけでなく重みを出したい、メッセージ性を持たせながらニュートラルなイメージも欲しい、と欲張って、最後の最後で変更しました。デザイナーの竹内雄二さんには本当に申し訳なかったのですが、結果的には緊張感と重厚感が同居した素晴らしい装丁にしていただきました。池村千秋さんの翻訳が見事で、それがこの本が広く読まれた大きな要因だと思いますが、そのまま日本語にすると伝わりにくい言葉がいくつかありました。その一つが"serial master"です。これを「連続スペシャリスト」としました。情報量が非常に多い本ですが、少なくとも「三つのシフト」ついては読んだあとに思い出してもらえるよう、この部分は簡潔で力のある言葉で伝えられるように心がけました。

− 本書が支持される理由はなんだと思われますか?

働き方の問題はすべての人の問題でありながら、年代や性別や地域によって事情が異なるので、往々にして「私はこうである」「私はこうだった」という自分起点の話しかできないというジレンマがあります。この本は、働き方を議論するうえでこれまで欠けていた「グローバルな文脈」を示したことが、多くの人に読まれた理由ではないでしょうか。本を読んだうえで、「ここに書いてあることをあなたどう思うか?」と他者に問いかけることから、個人のバックグラウンドの違いを超えて、「何のために働くのか」「どのように働きたいのか」という価値観の部分まで話を深めることができます。そういう意味で、「働き方」に関する議論のインフラとしての役割を提供できたのでしょう。ブロガーのちきりんさんが「オンライン読書会」の課題本として選んでくださったのも、そういうところに着目してくださったのかなと思います。

− 本書をまだ読んでいない方に魅力を伝えていただけますか?

先ほどの話とも重なりますが、自分はどんな働き方がしたいのかと一人で考えても、「日本はこうだから」とか「自分の世代はこうだから」という制約にとらわれていると堂々巡りになってしまいます。この本は、そこから一歩外に出て、「世の中こうなっている」というところに視点を引き上げてくれます。『ワーク・シフト』は、いわば地図のような本です。行き先と行き方は、これを読んで自分で決める。まずは一人で読んで、次に友人や家族と一緒に読んでいろいろ話し合ってみてはいかがでしょうか。実際、全国で読書会が数多く開かれています。私も参加してみました。初対面の人と「なぜ働くのか」という話にはまずなりませんが、『ワーク・シフト』を介すると知らない人ともスッとそういう話ができるというのが面白いですね。